2003-07-24 第156回国会 衆議院 憲法調査会 第9号
○中山(正)委員 自由民主党の中山正暉です。 先ほど、時実利彦先生がおっしゃったこと、ちょっと欠落いたしましたので申し上げておきます。 人間の前頭葉の中に百四十億の細胞がある。それが、三歳から十歳までの間にその細胞の突起、五十本ぐらいが結びつく。その中で人に対する対応というのは決まってくる。このごろ、少年犯罪を見ましても、少年というのはなかなか残虐なところがあるということが証明されているわけですが
○中山(正)委員 自由民主党の中山正暉です。 先ほど、時実利彦先生がおっしゃったこと、ちょっと欠落いたしましたので申し上げておきます。 人間の前頭葉の中に百四十億の細胞がある。それが、三歳から十歳までの間にその細胞の突起、五十本ぐらいが結びつく。その中で人に対する対応というのは決まってくる。このごろ、少年犯罪を見ましても、少年というのはなかなか残虐なところがあるということが証明されているわけですが
○中山(正)委員 そのときに日本国の憲法をどうするかということをきっちりと私どもは、政党を超越して考えなければいけない。 後でまた発言をさせていただきます。
○中山(正)委員 自由民主党の中山正暉でございます。 この中にももう戦争体験のないお若い先生方は大勢いらっしゃいますが、私ですら、ことし七十一、戦争が済んだときに中学一年生でございました。私は、大阪で、B29が頭の上から、一万メートルも上から爆弾を落として、そして焦土と化していくその町の中で、私は生駒山という山の下に疎開をしておりましたが、市内の中学校に通っておりましたので、焼夷弾が降ってくる中、
○中山(正)小委員 先ほど春名先生からの御指摘がありましたので。 なぜそのときそれじゃ憲法に反対をされたのか、実に不思議の感に打たれます。ケーディスという、いわゆる憲法を日本に押しつけたときのメンバーの責任者がいました。マーカットという少将はドイツ系の弁護士でしたが、それがフィリピンに長くいて、フィリピンの憲法を焼き直して日本に押しつけたのです。そのマーカットとか、それからケーディス、このケーディス
○中山(正)小委員 重ねて中山正暉に発言させていただいて感謝をいたします。 アメリカが今現実の世界で大変ないろいろなことをやっているとおっしゃる皆さんが、一九四五年、戦争が済んだときのアメリカの世界戦略の中で、日本を永久に属国にして、もう二度と立ち上がらない、アメリカの言うことを聞く国にしようと思って与えた憲法を何で守ろうとされるのか、私はそれがまことに不思議でなりません。 これから私は、二十一世紀
○中山(正)小委員 自民党の中山正暉です。 いろいろ議論を聞いていまして、日本は本当にタイミングをすべて逸してしまったなと思います。 自民党の方でも、国会議員のときには憲法改正をおれが総理大臣になったらすると言っていた人がいて、総理大臣になると、おれの在任中は改正しない。その繰り返しで、野党は野党で、冷戦構造で二つの対立点があった中で、日本にこういう武力を持たないという憲法があった方が革命がしやすいだろう
○中山(正)委員 自民党の中山正暉でございます。 再度発言を許していただくということに感謝をいたします。 古きをたずね新しきを知るというのが将来の予測を立てるのに非常に大事なことだと私は思うんです。 日本で二・二六事件という事件が起こりました。真崎甚三郎、真三郎という兄弟の大将を首班にする軍事政権樹立が目的でした。自由主義政治家を皆殺す計画でした。例えば高橋是清のように明治の日露戦争のとき、十八億
○中山(正)委員 自民党の中山正暉でございます。 ヘーゲルという人の言葉に、「神は世界を統治する、その統治の内容、その計画の遂行、それが世界史である」という言葉があります。一七七六年にアメリカは独立をしまして、五十の種族による二百二十七年間の今、アメリカの歴史が経過しました。 アメリカというのは、いわゆる世界統一の縮図だと私は思います。今、世界の軍事費の三七%、ことしだけでも四十四兆ばかりの軍事費
○中山(正)小委員 では、もう一言。 きょうの東京新聞の一面の記事が、日本の自衛隊が、研究したことがあるということで、北朝鮮を攻撃する能力があるかというと全くないということです。 ところが、以前に核拡散防止条約を脱退した北朝鮮は、期限が三カ月で切れる一日前に戻りましたが、今度は四月十日で期限が切れておりますが、国連はこれに対する査察も何も、今全く行動を起こしておりません。こういう現実をどう見るか
○中山(正)小委員 自由民主党の中山正暉でございます。 参考人がいらっしゃる間に聞ければよかったなと思うことなのでございますが、将来のことで。 最近、国連という名の神話という、色摩さんですか、外務省、今浜松大学の教授か何かやっていらっしゃる方、この方が国連という名の神話という、ほとんど国連を神話扱いされている本が出ていまして、私は、将来、常任理事国同士が対決をした場合、一体どんなになるのかと。
○中山(正)小委員 はい。お願いします。 それでは、なかなか五分じゃ難しいですね。これからもう少し本人が満足するまで言わせていただくような、演説というのは本人が満足しないともともと終わらないものなんですけれども、途中でやめます。ありがとうございました。
○中山(正)小委員 はい。竹下総理大臣が、中山君行ってくれとおっしゃるから、私は、電話回線六十万回線と、それから天津—上海間の光ファイバーを中国に提供しました、郵政大臣として。ところが、そこで、上海—天津間で商売をやっているのはモトローラ、モトローラが電話事業、ああ、日本のインフラストラクチャーはアメリカの電話会社の下準備だったんだなという気がしたんです。 ですから、私は、世界を一つにするという思想
○中山(正)小委員 やはり、日本が思う国連に対する失望感みたいなものが最近大変きついんですね。 さっき、朝鮮動乱のときの国連軍の話がありましたが、これは十六カ国、そのとき中国は国連に入っていませんし、ソ連が拒否権を使ったということで、十六カ国のいわゆる朝鮮動乱の国連軍ができたんです。 ここに江藤淳さんの「日米戦争は終わっていない」という本があるんです。江藤淳さんはお亡くなりになりましたが、この中
○中山(正)委員 中山正暉でございます。 今もお話がございましたように、日本国憲法の第二章の第九条、戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認、何もできないということが書いてあるわけです。憲法が決まった経緯をアメリカは永久秘密にしています。アメリカは情報公開法で、二十五年たちましたらすべてのことを公開するということになっていますが、永久秘密というのが、日本に与えた憲法の問題です。 そのころはアメリカは武器貸与法
○中山(正)委員 昔、共産党の榊理論委員長と正森成二議員と、それから自民党側から私と石原慎太郎、この四人でNHKの三分間討論会というのをやったことがあるんです。前日にNHKの方から何を質問するかという問い合わせがありましたので、私は愛国心について問いたいということを言っておきました。実はこれは、中身は天皇制をどうするかという意味を持たせていたんです。 討論が始まりまして、真ん中に電球がついて、その
○中山(正)委員 自民党の中山正暉でございます。 法哲学者のヘーゲルという人の言葉に、神は世界を統治する、その統治の内容、その計画の遂行、それが世界史であるという大変意義深い言葉があるのであります。私は世界連邦主義者でございまして、世界連邦というものができることを夢見ておる一人でございますが、今のところの国連に満幅の信頼が置けるかというと、私は、そうではないように思います。 それは、過去、私も国会
○中山(正)小委員 きょうは小川先生のお話でしたので、私も事前に知っていたら質問をしたかったなと思うんですが。 ひとり言になりますが、きょうは災害の問題と防衛の問題というのをごちゃまぜにしている。結局、敵からの攻撃があれば、それが自然災害と同じような大災害になるんだから、その辺では一致するのかなと思いますが。 私はかつて、三木内閣のときでしたが、核拡散防止条約、そのときに、日本としては当然のことだという
○中山(正)議員 わかりました。本当はまだまだ一時間半ぐらいいただきたいと思うんですが、簡単な話ではございません。 本当に、日本を愛する、この場にいらっしゃる安全保障というものに特別の御興味をお持ちの方、ひとつ、この不思議な集団の動きをどうぞよく、深く理解をしていただいて、国家安全保障のために御対応をいただきますようにお願いをし、浜田先生から、次は自分の持ち時間だから少しぐらいははみ出してもいいよと
○中山(正)議員 先般の当委員会の審議に際しまして、参考人に来られました佐藤勝巳氏の証言がありました。その証言に関しまして、当委員会理事の皆様にお願いをして、私も当委員会の委員長を務めたことがございますし、私も三十四年間の国会議員、連続十一回当選させていただいております者として、私の晩節を汚すわけにもいきませんので、ここで理事各位にお願いをし、今委員の皆様方の御許可を得まして、また委員長の御配慮をいただいて
○中山(正)委員 日本は、幕末には大名の数は二百七十四人しかいませんでした。それから、地方に領地を持っている旗本が大体大きなところで三十家ぐらい。年末、総理大臣にも私、自民党の都市対策協議会の会長という立場で話をしたんですが、総理が、あっ、それで三百諸侯と言うんですねという話でした。 今は、しかし、三千二百十七の自治体、市だけで六百七十一、過疎市町村が千百七十一、そういう非常にバランスの悪い、特に
○中山(正)委員 先ほどお話の中に冷戦構造の中での日本という話がありました。あれは終戦から五年たって、昭和二十五年の六月の二十五日に朝鮮動乱が起こって、二十八年の七月の二十七日に終わりました。 しかし、アメリカはその一年前に、日本の経済力で中国を大きくしてソ連と分断するという大変すごい計画を立てていたんですね。マッカーサーはそれを知らずに、満州に、朝鮮動乱を解決するためには、二十六発の原子爆弾、それから
○中山(正)委員 憲法のない国家に何のために調査団を出すのか。そんな、よそへ調査に行かなくても、日本で勝手に考えたらいいことで、個性を持った日本としての憲法をどうつくるかというのは、これだけ賢い人の多い国家で、日本で独自に考えて、早く案をそれぞれに出していただいて、私は、それこそ国会議員にアンケートもとっていいと思うんです。この条項はこうすべきだというような具体的な案を私は出すべきだと思います。
○中山(正)委員 まず、私はお願いをしておきたいことがあるんですが、昭和三十九年まででしたか、内閣に憲法調査会というのができまして、倉庫いっぱい資料がある。その資料が欲しいのです。 私は、国会で論憲という不思議な委員会ができまして、そんなのんきな世界情勢じゃないんじゃないか。特に、「超限戦」という、中国の王湘穂という人と喬良という空軍の大佐がオサマ・ビンラディンの事件を六カ月前に予言したという、その
○中山(正)小委員 もう質疑時間がなくなったそうでございますから、私は、これからの世界というのは、イスラム教の社会とキリスト教の社会が、悪いパターン、悪い予測を立てますと、これが対決をする。そして、日本の二十六倍ある中国という国が、今度の党大会でも自由主義経済主義者も入れようというような変化を示しておりますが、ここは選挙をしておりません。そして、政治形態は共産主義、社会主義を基本にすると言っておりますが
○中山(正)小委員 先生、御苦労さまでございました。中山正暉でございます。 非常に高度な御解析をいただきましたことに心から敬意を表しますと同時に、きのう、きょう質問してくれというお話をいただきましたので、私といたしましては、昭和三十八年に私は地方議会からスタートしまして、およそ四十年間、国会に出していただいてから三十四年がたっておりますが、その間の自分の経験をもとに物を言うことしかできないのかな、
○中山(正)小委員 十分のうちの八分ぐらいではなかなか憲法論議は難しいわけですが、私が言おうと思ったことは、二つの思想をあがめるという、神様と仏様を一緒にお祭りした、東大寺を守る春日大社、それから京都の東寺を守る石清水八幡宮、神護寺、神を守る寺なんというのがありますが、私はこの思想、やおよろずの神の思想というのは大事にしなきゃいかぬし、そうではないかなという気がするんです。家の中にも、どなたも一番恐
○中山(正)小委員 きょうはまことにありがとうございます。 クリーム色のスーツがよく似合う若武者のような先生から、温故知新、まさに古きをたずね新しきを知るという感じです。 私は十三歳まで明治憲法のもとで成長してまいりました。いろいろな時代がありましたが、グナイストに伊藤博文が指導を受けに行ったときに、維新後の日本はどうして運営していったらいいだろうかということを聞きましたら、あなた方の村々町々には
○中山(正)小委員 私は、昭和四十四年から国会におらせていただいておりますが、その中でちょっと疑問に思ったことをこの際指摘しておきたいと思うんです。憲法九十八条の二項、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」 日中条約のころのことなんですが、日中条約というのは、御承知のように、一九五二年から日本と中華民国との平和条約がありました。これは、一九七二年、
○中山(正)小委員 はい。 その辺をひとつお考えいただくようなことをまた御研究の中で、お答えいただかなくても結構でございますが、時間は委員長から厳しく、お顔は優しいんですが、大変厳しく委員会を運営されますので、この辺にしておきます。
○中山(正)小委員 毎回これは微調整がつきまとうということでございますので、その意味で、一体これを続けていくことが日本の将来のためにどうなのか。特に、日本は六千八百五十二も島があります。それから、千百七十一の過疎市町村、太平洋ベルト地帯に人口が集中しているという特殊な国土形成になっておりますものですから、そこで広さとかそういうものを加味した選挙制度というようなものが、中国なんかは、これは議会制民主主義
○中山(正)小委員 もういいところは大分出てしまいましたので、大変お時間をいただいて、きょうは御苦労かけております。 私、今現在、自民党の選挙制度調査会の会長をやっておりまして、初代が羽田孜、今は民主党の方へ行きましたが、彼が最初に説明に来たときに、二大政党をやるんだ、こう言ったんですね。あなたのところは、それは浅間山の煙を見ながら、馬子唄聞きながら、山の向こうが自民党、山のこっちが自民党で、二つに
○中山(正)小委員 ありがとうございます。それでは、終わります。 先生の御意見、わかりましたので、私、誤解をしていましたので、失礼いたしました。
○中山(正)小委員 現憲法は、アメリカが日本に押しつけた憲法なんですが、アメリカが日本にこの憲法を押しつけたときには参議院はなかったと聞いています。昔の貴族院を懐かしむ人たちが、何とか参議院をつくってくれということで申し入れ、不思議なことに、マッカーサーはこれだけは言うことを聞いて、参議院をつくってしまった。今、与野党が、参議院の場合は薄氷を踏むような状態でして、何か参議院の参というと、降参の参という
○中山(正)委員 十分間の時間をちょうだいして、意見を申し上げてみたいと思います。 憲法の前文についてでございますが、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、」その次でございますが、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、」という文章があります。 中央教育審議会の委員をしておられた、脳生理学の日本の権威、故人となられましたが、時実利彦先生
○中山(正)委員 私は、この日本の憲法問題、戦後五十六年置いておかれたという中に、どうしても米国の情報公開法で明らかにしていただかなければいけないことがあると思います。 今、世界情勢も大変な時代に来ましたが、日本というのは、冷戦構造の中で、アメリカとソ連と中国という、特にアメリカは、一九四九年、朝鮮動乱の一年前に、日本の経済力で中国を支援して、ソ連と中国の分断を図るという秘密文書、これは一九七五年
○中山(正)委員 またの機会をいただくことにしまして、この五つの政策、これを排除して、とにかく本当の平和憲法、アメリカに守ってもらってのうのうとガラスの城に住んでいる平和では、これは平和じゃありません。ポリティックス ウイズアウト アーマメント イズ ミュージック ウイズアウト インストルメント、軍事を抜いた政治というのは楽器を抜いた音楽だといいます。 終わります。
○中山(正)委員 御配慮いただきまして感謝をいたします。自由民主党の中山正暉でございます。 私は、三十二年間この国会に籍を置かせていただいておりますが、直接こうして国会の議場、委員会の場で憲法の問題を語れるようになったということに大変時代の推移を感じますし、世界の平和に貢献をする機会をどんなふうに国会がつくるかというためには、有意義な時代が来たと思っております。 ただ、むなしいのは、五年間論議をしても
○国務大臣(中山正暉君) 平成十年度の決算に関しまして、御質疑の中で吉野川問題を取り上げていただきまして大変ありがとうございます。心から感謝を申し上げたいと思いますが、第十堰というのは昭和六十二年ごろから計画をされまして、あと何年かかりますか、今までに五十六億円ばかりの調査費が入っておりますが、まだ現実に予算はついておりません。 それで私は、去る二月の二日でございますが、姫野さんという方を御同道いただきました